はじめて行った握手会がきっかけで長年の「推し活」が終わった話

「握手会」、これほどオタクをわくわくさせる言葉はないだろう。

握手会は、コロナ禍になる前AKBグループが火付け役となって(主にCDやDVDを売る手段として)ブームとなった。

今回はそんな握手会がきっかけで、推し活動を終えた経緯を書こうと思う。

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わたしは握手会に行く前までは、きっと「推し」にあったら、嬉しさで号泣して、もう死んでもいいと思えるくらいに思えるだろう、そう思って参加した。

 

費用は5万くらいだっと思う。握手会だけでなく、コンサートやトークショーなども合わせてあるイベントだった。

その時の私は推しに夢中で、安いくらいに感じていた。なんせファン歴は高校生の時からちょうど10年。

同じ地球に生まれて、同じ時代に生きれることに感謝していたくらいである。推しに会えるなんて夢のまた夢、そのチケットが5万で手に入るなら安いだろう、と思っていた。

 

その推しのSNSをチェックするところから1日をはじめ、テレビに出ればスマホを構えて連写していた。CDもDVDもすべて集めた。同じライブのツアーに4日間、神戸公演と東京公演を通ったりと遠征もした。

 

界隈ではその「推し」を「神」と呼んでいる人がいて、私にとってもまさに神とも言える存在だった。

 

チケットを手に入れてから私は「号泣するだろうな、膝から崩れ落ちるかもしれないな、時が止まったようにかんじるんだろうな」そんな妄想を連日していた。

今思うと、それが良くなかったんだと思う。自分の期待値はもう限界突破していたのだ。

 

いよいよ握手会当日。今回は自宅から片道4時間以上の遠征だった。その間も私は推しと会ったら、どうなってしまうんだろう、ということばかり考えていた。

 

緊張の中、長蛇の列に並び、やっとの思いで自分の番がきた。ついにその時が来た。きてしまった。

 

雷が自分の脳天を突き刺すような衝撃があるだろうと思っていたけれど、実際は、なんというか、すごく平凡な時間だった。5秒か10秒か、わからないけれど、私には友達同士でする「あれ、とって?」「うん」のやりとりくらいの感覚だった。

 

推しをみた感想は、「あ、人間なんだ」というあっけないものだった。

 

そこから急速に「推し」への興味が失われて行くのを感じた。

 

私はステージ上でパフォーマンスをする推しをみて「神」だと勘違いして10年間、崇め奉っていた。しかしなんと彼(推し)は私たちと同じ実在する人間だったのだ。

 

そんな理由にもなってないような、情けない理由で失望した。

 

行きのバスでは、盛り上がる周りの会話に「うん、うん」と心の中で、相槌を打っていたが、帰りのバスでは、ハイトーンで推しの感想を話す周りを煩わしくさえ思えた。

 

彼のプライベートの写真や、すっぴんの気の抜けた動画を見るのは好きだったので、まさかそんなことで幻滅するとは思っていなかった。

 

彼の顔をみて失望とかではない。つねに期待以上の歌唱力やパフォーマンスが観れるライブとは違い、あまりにもあっけない「握手会」という制度にわたしは失望して、その勢いのまま推しへの興味をすっかり無くしてしまったのだと思う。